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| 【役職】 |
衆議院厚生労働委員 衆議院青少年特委理事 党機関紙「自由民主」編集長 党道州制推進本部事務局長 党NGO・NPO関係団体委員長 党大阪府支部連合会副会長 自由民主党オートバイ議員連盟 事務局長 自由民主党町の酒屋を守る議員連盟 事務局長 自由民主党動物愛護管理推進議員連盟 事務局次長 自由民主党全国保育関係議員連盟 世話人 新憲法制定議員同盟 事務局次長 (平成22年3月現在) |
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| 【これまでの主な役職】 | 内閣府大臣政務官 (経済財政、規制改革、道州制、地方分権など担当) 厚生労働大臣政務官(厚生担当) 衆議院法務委員会理事 衆議院環境委員会理事 党国会対策副委員長 |
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【経歴】 |
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生年月日 |
昭和46年8月17日 | |||
出生地 |
大阪府 | |||
選挙区 |
大阪10区(高槻市・島本町) | |||
平成 2年 |
私立清風高等学校 卒業 | |||
平成 3年 |
早稲田大学商学部 入学 (International Internship Programからオーストラリアに1年間派遣され、小・中学校で日本文化を教える) |
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平成 9年 |
早稲田大学商学部 卒業 | |||
平成 9年4月 |
産経新聞社 入社 産経新聞社 社会部記者 | |||
平成14年10月 |
衆議院議員 初当選 (環境委員・議院運営委員・イラク支援特別委員等歴任) |
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平成15年11月 |
第43回衆議院総選挙 次点 | |||
平成17年9月 |
第44回衆議院総選挙 大阪10区にて当選 |
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平成19年8月 |
第2次安倍内閣において厚生労働大臣政務官を拝命 | |||
平成19年9月 |
福田内閣において厚生労働大臣政務官留任 | |||
平成20年8月 |
福田改造内閣において内閣府大臣政務官を拝命 | |||
平成20年9月 |
麻生内閣において内閣府大臣政務官を拝命 | |||
平成21年8月 |
第45回衆議院総選挙にて3期目の当選 | |||
志 |
「健太」という名前は、祖父が選挙に出やすいように命名してくれた。祖父は公共心にあつい人だったという。村の中に道路が建設されることになり、土地の値をつり上げようとする人々が出てきたときには、自分の土地を寄付 してまでいさめたという。祖父が早くに亡くなったが、そんな話を聞かされて育ったケンタの心には、 「いつかおじいちゃんのように人のために働ける立派な政治家になろう!!」 という気持ちが芽生えた。 | ||
新聞記者時代 |
大学卒業後、ケンタが選んだのは新聞記者の道だった。自分の問題意識を社会に反映させることで、世の中を少しでも良くできるのではと考えたからだ。記者時代に「銀行の貸し渋りや」や「介護保険」を取材した際、様々な矛盾を目の当たりにし、社会に直接関与できる政治家になりたいとの思いを今まで以上に強くした。 | ||
政治家への道 |
「国会議員活動も記者活動も基本は同じ。相手に信頼をしてもらって仕事をし、社会をよくすること」―。平成14年10月に初当選してから一ヵ月後に松浪ケンタはこう語った。初当選した補欠選挙でもしも落選していたら政党助成金をもらって大阪10区で自民党支部を作り、しばらく地道に活動をするつもりだったという。もともと“40歳で国会に行く“のが目標であったので、気持ちに焦りはなかった。 ”妻を何とか食わせていければいいかな?“と。補欠選挙では、43252票を頂き、見事に初当選。しかし1年後の総選挙では68646票を頂くも落選した。 | ||
浪人時代 |
浪人生活に突入して10日後には娘が誕生。「私達は自分のためだけではなく、次世代のためにこそ行わなければならない」との理念から、自らの娘を肩車した写真をポスターに採用して政治活動を展開。平成17年7月 からは、自らの再起と日本の再起を胸に「ケンタ、再起動。」をキャッチフレーズに活動を一新し、郵政民営化の是非が問われた同年9月の総選挙で83607票を獲得して、小選挙区から国政に復帰した。 | ||